松本市で心に沁みた開智学校。
2019.11.28
今日は魚市場の話でなく、
先日とても感銘を受けたことを書きます。
22.23の連休に行った
長野県松本市で、
松本城のほかに
開智学校(国宝)を見た時のことです。
古い この写真は
幼児をつれた子供たちが
勉強している写真です。
見たこともない光景で、
こういうことがあったのか
「すごい」と
感激して 涙がにじみました。
写真は 幼児をおぶった子守たちです。
「子守教育」とは
家庭が貧しく、
幼い頃より奉公(子守)に出ている
子供たちを対象にした教育です。
長野県は今でも
「教育県」と言われますが、
こういうことがあるのか
こういうことをやっていたのか
と驚きでした。
「松本に子守に来れば
学校に行ける」と
岐阜や富山、新潟などからも
子守奉公に来たそうです。
授業料は無償とはいえ、
子守の生徒達は奉公のため、
欠席することが多く、
大正7年の報告によると、
卒業生は入学者数の
1割程度だったようです。
松本では
明治31年に
「幾分の教育を加へん」と
読み書きや算術を教えたのが
始まりだそうです。
翌32年、開智学校男子部の中に
「子守教育所」として
正式に開設され、
放課後に授業が行われました。
翌年には開智学校女子部に移転し、
その後 昭和9年(1934)まで存続し、
その後は併設の特別学級に組み込まれました。
長野県では
「子守教育」は明治16年に始まり
県内各地で行われたそうです。
開智学校は
昭和39年まで使用されていたそうで
私は小学校6年で、
あまりに身近で驚きました。
「子守教育所」は
昭和9年まで存続してから
併設の特別学級に組み込まれ・・・
とのことですが、
父や母が6歳の頃までは
この写真の光景があったということで、
これも驚きでした。
今迄 全く聞いた事のないことだったし
身近な年代にこんなことが
とも思いましたし、
さすが「教育県」と言われる長野県だと思いました。
開智学校が保存している教育資料は
日本で一番の膨大な量だそうです。
写真は
教室に入り口の床の木です。
こんなに磨り減っています。
講堂とか校長室とかとは
磨り減り方がすごくて、
きっと入り口の木は
踏まないようにまたいで入れと言われていたはずなのに
この磨り減り方
これも心に沁みた光景の1つでした。
古い写真とともに
心に沁みた忘れられない旅行になりました。
これをお伝えしたくて
ブログの場をお借りしました。
今日もご訪問ありがとうございました。